石器時代?

そんなに沢山はないがいくつかのブログを読ませて頂いてる。

 

全ての内容に賛同出来たり共感出来たりする訳ではないがどれも楽しくも勉強になりじっくり読ませて頂いてる。

 

頭が反応するのではなく、本能みたいなのに反応した事に従おうってのが自分の中の1つの基準

 

空を雲を見てて頭に突然浮かぶ事もあるし、神社で参拝してる時に突然浮かぶモノもある⛩

 

そんなブログや空や雲を見てたり、神社参拝してる時に浮かんだ事の1つ

 

【必要以上にとらない、無駄を無くす】

 

昔々の人達

それこそ石器時代くらいだろうか?

そこからどの時代まで続いてたかわからないが

 

昔々の人達は食べる物を必要な分しかとらなかったはずだ

狩りをして肉を得るにしても、漁をして魚を得るにしても

必要な分だけ取って、分け合って無駄なくその命を頂いた

余分に取らなかったはずだ

そして年に1回とかの頻度で山の神、海の神に感謝を祭として伝えたり祈ったりしてた

そして山の神や海の神を通して命を犠牲にしてくれた動物や魚に感謝を伝えてたと思うし、供養をしていたと思う

木々もそうだ。

無駄に伐採せず、火を起こす為に必要なだけ使う

家を建てる為に使う

無駄にはしてないと思う

 

 

さあ、現代はどうだろうか?

価格を下げる為に必要以上に沢山漁獲を上げたり、牛や豚を殺し肉にしてる

野菜も同じだ

どれだけの野菜が廃棄されてるか

調理されても残してる量がどれだけあるか

衣類も同じだ

値段を下げる為に大量に生産してる

この状況で衣類やら段ボールを廃棄出来るとこには衣類も雑誌も段ボールも溢れてる

それだけ無駄な衣類が有ったって証拠だろう

 

100均のお店の事を否定する気はサラサラない

便利なとこも多数ある

が100円で買えてしまうが為に無駄なモノを買ってしまって結局ゴミになってるモノも多いだろうと感じてる

 

安けりゃイイってもんじゃない

沢山ありゃイイってもんじゃない

 

ちゃんと適正な価値があるし、もっとモノを大切にすべきだ

 

木々に目を移せば、例えば他の木々の為に間引きされた木があるとする

その間引きされた木も家の材料になったり、タンスになったりすれば形を変えて生きる

が、ビルを建てる為、ゴルフ場を作る為に乱暴に山を伐採されたらどうだろうか?

無慈悲に倒され生かされる事なくゴミとなり捨てられておしまいだ

そこには花々も虫もいるだろう

そんな時に山の神にお詫びをしたり感謝したりしてるだろうか?

反対に産業廃棄物が捨てられている

 

ペットボトルも人には便利なモノだ

が、土にかえらないから結局は有害なゴミにしかならない

海に捨てられて海は汚れ、海の動物達が食べてしまったりして沢山の被害が出てる

海の神や海の生き物に感謝するどころか痛めつける

昔々は母なる海として大事にして感謝を伝え、禁漁の時期も守り、無駄に取らなかったりとしてたのに

 

車も便利なモノだ

が、油を海に垂れ流し大気も汚染し

工場からも有害な液体が海や川に流れる

そして出される煙?で大気も汚れる

色んな製品を生産するにあたり必要以上に作るからじゃないのか?

本当にそんなモノが必要なのか?

 

極々一部の超富裕層の利権の為に色んな犠牲も

 

そして我々一般的な立場の人も安ければイイ的な感覚が強いのが本音のとこじゃないだろうか

 

我々一般的な立場の人でも出来る事はあると思う

ペットボトルを使わずに水筒やタンブラーを使いコンビニでも蛇口的なとこから水筒に入れれるような仕組みが出来ればペットボトルは激減するだろう

ペットボトルを生産してる企業は仕事が無くなってしまうけど

ただそれも時代の流れだと思う

自分がペットボトルに関係する企業に勤めてないからサラッと言えてるのかもしれないけど、歴史を辿れば無くなってきた産業、業種も沢山ある

 

それでも時代は自然や他の生き物と共存する、しなきゃいけない時を迎えてる

 

それこそ石器時代に戻るくらいの勢いで

 

そんな事が頭に浮かんだ今日この頃でした。